東京外国語大学 AA研 チベット牧畜文化辞典編纂チーム 運営
 

འབྲོག་པའི་པོ་ཏི།

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牧畜民は山をどう見ているか

2019年12月28日UP
カテゴリー/地形・天候・天体
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© Hoshi Izumi

チベット語を学んだことのある方やヒマラヤ登山に詳しい方は、「リ (ri)」という語が山を表し、「ラ (la)」という語が峠を意味することをご存知だろう。例えばチョモラリ山の「リ」やカムパラ峠の「ラ」などがそうだ。しかし、牧畜民に改めて聞いてみると、実は「リ」や「ラ」は必ずしも「山」や「峠」には置き換えられないということがわかる。

ラサのチベット語で「リ」と発音される語はアムド・チベット語ではだが、この語は山というより、山並み、すなわち山々が連なっている様子を表す語である。人里離れたところという含みのある語でもある。一つひとつの山はという。口を表すのと同じ語を用いるのだ。一方、人間が山の斜面を登るとき、その上り斜面を(またはキェン)という。登る対象として目の前にある登り斜面がラなのである。峠道は尾根の鞍部にあることが多いが、その鞍部をニャガという。峠を越えて山を下るときは、その下り斜面をトゥル(またはナン)という。このように日々山で家畜を放牧して暮らしている牧畜民は、斜面を登ったり下ったりする身体的行為と結びついた着眼点で地形を呼び分けているのだ。

※ 図のチベット語をクリックすると、辞書項目が表示されます。

山の尾根が張り出している部分はドンという。鼻筋を表す語の語根である。その一番高いところをチャガという。山の稜線はカズル、尾根筋はドンズルという。-ズルは角張ったところを表す語根である。

尾根が張り出している部分を越えて隣の谷に入っていくヤクの群れ

山の斜面の日おもて側はニン、日陰側はシュプという。日照時間が異なるので地表の水分含有量も植生も異なる。日おもて側には短い丈の生えている草地、すなわちサンが広がっており、日陰側にはシャクナゲキンロバイなどの落葉小低木が生えていることが多い。こうした知識は家畜に食べさせる草に関する知識と深く結びついており、植生に対しても、日おもてに生える草日陰に生える草といった呼び分けがある。

ところで山の山頂部はルンゴ、山腹の部分はルケル、山裾あたりはルンダプと表現される。ルンゴの -ンゴには頭の意味があり、直訳すると山の頭という意味になる。同様にルケルの -ケルは腰、ルンダプの -ンダプには足元という意味で、日本語における地形語彙の組み立てとよく似ている。ちなみに、尾根の鞍部を表すニャガについても、一番高いところはニャクンゴ、鞍部の中腹部分はニャクケル、鞍部の最も低いところはニャクンダプという。

この他、山に関連する語として、山の斜面斜面になっている浅い谷小さい崖洞窟などはよく使われる。


文:星泉
作図:山口哲由
写真:星泉、平田昌弘