東京外国語大学 AA研 チベット牧畜文化辞典編纂チーム 運営
 

འབྲོག་པའི་པོ་ཏི།

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ナキウサギはかわいくない?

2020年04月05日UP
カテゴリー/植物と動物
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チベットの草原に行くと、広大な大地と大空に圧倒されるが、草原の表面によく目を凝らすと素早く動く小動物が目に入る。チベット人がアブラと呼ぶ、ヒマラヤナキウサギだ。

彼らはあまりに早く動くうえ、人間が近づくと、そこかしこに掘られた巣穴に身を隠してしまうため、その外見をじっくり眺めるのは難しい。しかし、少し離れたところからカメラのレンズ越しによく見ると、とても愛くるしい姿をしている。牧畜を営んでいない者にとっては、ペットにしたいとも思える見た目をしているが、牧畜民にとってはあくまで草原を荒らす害獣である。

チベットの牧畜民は、ヤクに代表されるウシ属、羊、山羊、馬からなる四種の家畜を伝統的に飼養してきた。そのため、これらの動物を家畜として大切にするのは当然のこと、家畜化していない状態の個体にも愛着を持っている人が多い。そこで、チベット語の語彙には野生ヤクの美称も存在し、野生の状態の個体を神聖な生き物とみなす場合もある。また、チベット人の猟師にとって、鹿キツネのような野生動物は狩りの獲物として馴染みのある動物である。

こういった家畜や野生動物とは対照的に、ナキウサギはあくまで害獣と見なされている。それは、ナキウサギが草原に穴を掘って暮らすからである。彼らはそこかしこに巣穴を掘るため、大発生した場合には土地が劣化して裸地となり、そこで家畜を放牧するのが難しくなってしまう。

ナキウサギが掘り返した草原

近年、牧畜自体が環境破壊をもたらすものとみなされ、政府主導で「環境保護」政策がすすめられているが、ナキウサギも同様に環境破壊の元凶の一員とみなされ、駆除されつつある。ただ、仏教を信仰するチベットの牧畜民は、ナキウサギを六道輪廻の中の「餓鬼」のカテゴリーに位置づけており、殺生を避けた対処法を探っている。そこで、彼らに餌をやって読経し、草原から去るように願う儀式が行われるようになっているという。チベットの牧畜民は、草原を荒らすナキウサギを厄介者と思い、草原から去ってほしいと願いつつも、やむを得ず共生を選択しているのである。

外からの目線ではナキウサギはかわいく見えるが、チベットにおいては今後も害獣でありつつ共生せざるをえない動物として微妙な関係が続いていくのだろう。


文・写真:岩田啓介