糞が支える人の移動
チベット牧畜民の生活には、ヤクを中心とする家畜の糞が欠かせない。ヤク糞の多くは乾燥させてかまどの燃料に利用するが、そればかりか定住家屋や肉の貯蔵庫、さらには雪遊び用のそりといった、幅広い活用法が編み出されている。まさに、生活必需品である。
ヤク糞は、牧畜民にとどまらず、人々がチベット牧畜地域を移動する際にも必須であった。ここでは、歴史上の事例から、アムド地方(東北チベット)の牧畜地域を移動する際に糞がいかに重要であったかを紹介しよう。
アムド地方の牧畜地域は、標高が高いため樹木が少なく、しかも寒冷である。そのため、自動車が普及する以前では、長期間に及ぶ移動が非常に困難で、人も家畜も命を落とすケースが少なくなかった。にもかかわらず、北方のモンゴルや新疆からラサに巡礼に向かう人や商人たちが、困難をものともせず、絶えず往来していたことは驚異的に思えるだろう。
彼らにとっては、食糧の調達とともに、燃料の確保が死活問題であった。人々は燃料を準備して移動したものの、行程に必要な全ての量を運搬できたわけではない。そこで、家畜の糞、それも同じ道を通った人々が残していった糞を活用していたのだ。
チベット牧畜民は、宿営地でヤクが夜間に排泄した糞を広げ、数日間乾燥させて燃料にする。しかし、移動する場合には、そうもいかない。19世紀後半から20世紀前半にアムド地方を旅した外国人の旅行記では、前に同じ場所を通った人々が残した家畜の糞を拾い集めて燃料を確保している様子が散見される。
さらに歴史を遡ると、糞の調達が軍事行動に影響を与えた事例すら見つかる。
1720年、清朝がチベットに派兵する際、アムド地方経由とカム地方(東チベット)経由の2つのルートを用いた。しかし、翌年に撤退する際には、大雪に見舞われたため、全ての軍がカム地方のルートを利用した。その判断の一因が、燃料の確保の問題であった。というのも、アムド地方のルートは、道中に残るヤク糞が雪で埋もれてしまい、糞を拾いながら移動できなくなってしまったのである。そこで清朝は、樹木が豊富で定住村落も多いカム地方のルートを採用したのであった。清朝はその後、ラサとの往来にはもっぱらカム地方のルートを利用するが、それはヤク糞に依存せざるを得ないアムド地方のルートの弱点が露見したことも一因だったのである。
以上のように、チベット牧畜地域の移動は、先人が残した家畜の糞が命綱になり、彼らの移動がさらに次の人々の移動を支えていた。チベット牧畜地域では、糞が人々の移動をも左右していたことが理解できるであろう。
さらに詳しい内容は、以下の論文をご覧ください。
岩田啓介「清代チベット・青海間交通路の変容」『アジア・アフリカ言語文化研究』102号、2021年
文:岩田啓介
写真:海老原志穂、ナムタルジャ