初乳チーズ ―カム地方の牧畜から

私はカム地方に位置する雲南省ディチン(迪慶)チベット族自治州の村落で牧畜の調査をおこなっていたが、調査3年目の5月には標高3600mに位置する宿営地に滞在していた。この日は朝から隣の宿営地まで植生の様子を見に行き、戻って来てからは宿営地近くの草原で寝転んでいた。すると小屋の周囲に居たジャザン(個体の呼称)が羊膜をぶら下げながら歩いていることに気づいた。ジャザンは母親がヤク、父親がウシという、いわゆるヤク–ウシ雑種第1代(F1)であるが、この日は出産が近いということで、放牧には出されずに宿営地に留まっていた。
ジャザンは、所在なさげにウロウロと歩き回りながら、しばらくすると立ち止まるという動作を数十分繰り返していたが、徐々に仔畜の前足や頭が見えるようになり、その後、ヌルリと仔畜の全身が出てきた。出産に対する牧畜民の介助はなく、家畜の独力によるものであったが、意外とあっけなく出産したように見えた。
ジャザンは生まれてきた仔畜をしばらく舐めていたが、羊水で濡れていた体が乾くよりも早くペイチュー(私がお世話になっていた家のご主人、元村長)が搾乳桶を持って出てきて初乳を搾り始めた。初乳を仔畜に与えない場合、仔畜の健康に影響が出ることをペイチューも知っていたのだが、それを承知で搾っていたのだった。
ヤクとウシの交配はチベットやヒマラヤで広くおこなわれているが、母親がヤクであれウシであれ、ヤクとウシが交配して生まれるF1は、雑種強勢の効果により、雄は体が大きくなり、ジャザンのような雌はミルクをたくさん出す。一方でF1から生まれる仔畜(F2)は体が小さく、成長しても弱々しいため、生後間もなく殺してしまうことも珍しくない。そのためにペイチューもF2には初乳を与えなかったのであるが、実際、ジャザンの仔は生後1ヶ月で病気にかかり死んでしまった。
初乳を与えないからF2が弱いのか、F2が弱いから初乳を与えないのかを判断することは難しいが、私の調査村では、ヤク–ウシ雑種第一代(F1)が出産した場合には初乳を全部搾ってしまう一方で、ヤクが出産した場合には半分だけ初乳を搾って残りの初乳は仔畜に与えるようにしており、家畜の種類に応じて初乳の扱いが明確に異なっていた。
初乳は栄養豊富で人にとっても体に良いが、生で飲むとお腹を壊すと考えられており、初乳チーズとして食べていた。初乳は普通のミルクとは異なり、強く加熱すると凝固するので、それを搾って水気を切ってチーズを作る。作りたての初乳チーズはカッテージ・チーズのような食感であるが、味はほとんどなく、強熱した際のかすかな焦げ臭さを感じるのみであった。乾燥させて薄く切ると、かまぼこのような、湯葉のような食感になったので、お土産として貰ったものを昆明(雲南省の省都)に持って帰り、やきそばに入れて食べると美味しかったのを覚えている。
ジャザンのように初乳を搾ると仔畜が死んでしまうことも多い。仔畜が死ぬと母畜はミルクを出さなくなってしまうので、仔畜の亡骸に木の枝などを詰めて生きているように見せかけることで搾乳をおこなうことになる。「初乳を搾る」ことは他の様々な技術と連関しており、技術と技術とが組み合わされることで牧畜生活が形作られる。
文・写真:山口哲由