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འབྲོག་པའི་པོ་ཏི།

チベット牧畜文化ポータル

神の居場所を造る その1 ラプツェ復興の背景

2020年05月01日UP
カテゴリー/牧畜民の宗教文化
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© Ebihara Shiho

本ポータルではラプツェについて、既に別のコラムで紹介している(「天と地がつながる瞬間―山の神祭り」)。それに基づけば、宗教施設としてのラプツェの基本的な役割は以下のように整理できる。

  1. 共通の祖先から分かれた父系リネージを構成する氏族集団によって祀られる
  2. 土地神は山頂に設けられたラプツェを棲家とし、氏族の産土神として、その氏族のホームテリトリー内で行われる生業活動を守護する
  3. 仏教とは異なる民間信仰のレベルで、チベット各地に散居する氏族集団ごとの土着的アイデンティティを規定する拠り所となっている

ラプツェはこのように、特定の土地境域(ホームテリトリー)に対して支配権を持つ個々の氏族集団を、その土地のランドマークとなる山を舞台とした定期的な祭儀の場に結び付けることによって、集団内部の結束を生み出す役割を果たしているといえる。ところが、チベットが中華人民共和国の勢力下に入った1950年代以降、人民公社体制下でこの伝統は急速に廃れていく。特に文化大革命(1967–1976)の時期には、ラプツェ交換の祭儀のような宗教的な行事はすべて迷信的行為と見なされ排撃されたため、完全に停止され、ラプツェは地元のチベット人自身を含む工作隊(紅衛兵)によって跡形もなく破壊されてしまう。いうなればこの時点で、チベット全土に散らばる氏族集団と同じ数だけ祀られてきた無数の土地神たちは全員「ホームレス」になってしまったのである。

ラプツェ交換の祭儀

1980年代、改革開放が進むと共にチベット本土でも宗教に対する締め付けが緩み、僧院では仏事が再開されるようになる。こうした宗教復興の流れの中で、昔から土地神信仰が盛んな地方のひとつであるアムドでは、各地の村々で一旦撤去したラプツェを一から作り直す機運が生まれた。この際、かつて自分たちの手で破壊したラプツェを数十年ぶりに再建し、再びその社を氏族のシンボルに据える上で彼らが留意したと思われるポイントとして、少なくとも以下の3つの要件が挙げられる。

  1. 氏族全体でラプツェの再建について合議し、密教の儀軌に定める埋蔵供物類を含む多種多様な資材の調達を一致協力して進めること
  2. ラプツェの開眼法要を主催する 導師として、密教的な能力に秀でた化身ラマを村に招き、儀式を通じて強力な加持を施してもらうことで、土地神の座としてのラプツェの機能を万全に整えること
  3. 上記2つの条件を達成することを通じて、土地神に再び安住の場所を与え、子々孫々受け継いでいくと共に、氏族の成員とその属する社会の平穏・安寧を願う気持ちを強く持ち、人々の間の調和の実現に尽力すること

上記3つの要件は、筆者がここ20年来、アムド各地の村落で挙行されたラプツェの再建現場で、作業に携わる人々から共通して聞き取ることのできたものである。ここには、かつて歴史の激動の波に翻弄され、自ら信仰を捨てざるを得なかった、特に現在壮年期に入っている村の中心メンバーたちが胸底に秘めてきた悔恨の念が込められているようにも思える。

開眼法要を無事終えた新しいラプツェを遠目に眺める老人

それは、昨今の経済発展の中で伝統的村落社会が急速に変貌し、村内の人間関係が様変わりしつつある時代だからこそ、ラプツェに象徴される氏族の誇りと郷土への愛着を簡単に捨て去らないでほしい、という彼らの人生経験に裏打ちされた願望とも結びついているように思われるのである。

つづくその2では、以上のような背景を持つラプツェの再建について、実際のフィールドワーク記録を元に、その作業プロセスを具体的に見てみたい。
文:別所裕介
写真:ナムタルジャ、海老原志穂