失敗から学んだ、タブー
その社会でどのような行動がタブーであるのかは、目に見えない。そして、その規範を逸脱した行動をとった時に注意を受けることで、それがタブーであることを知る。チベット社会のタブーについては、現地で出版されている各地域の地理、歴史、風習などをまとめた地誌の「禁忌(タブー)」の項目にも説明されており、おおまかには知ることができる。しかし、実際には、自分が失敗して学ぶことがほとんどだ。以下では、これまで失敗によって学んできたタブーを紹介したい。
乳製品にまつわるタブー
まずは、牧畜にも深く関係する、ミルクに関するタブーだ。
牧畜民の家庭では、一日に何杯もお茶を飲む。お茶だけのこともあるが、家にある場合はミルクも入れる。お茶や水を捨てる時には、たいてい、家やテントの外の地面に捨てているので、その要領で飲み残したミルクティーを地面に捨ててしまったことがある。その時、「ミルクを地面に捨てると福徳がなくなる」と注意された。
ミルクは三種の白い食品のひとつであり、捧げものにも使われる。この清浄なものを、人が歩いて足で踏みつけるような場所に捨ててはならないそうで、少し離れたきれいなところに捨てなければならないという。つまり、ミルクという清浄なものを、足で踏まれるような不浄な場所と区別するという原理がそこにはたらいている。
ドキュメンタリー映像『チベット牧畜民の一日』でも、沸かしたミルクを鍋から移す時に土の上にこぼしてしまい、すぐに、灰をまいてそれをふきとるという場面がある。その他の映像作品では、ソンタルジャ監督の映画『ラモとガベ』で、ラモがうっかりしてかまどの上でミルクを吹きこぼしてしまい、そこにやってきた村長が「それは縁起がいい」と言う場面があった。これは、一瞬、逆ではないかと思われるが、かまどの火口より外側にミルクがこぼれると縁起が悪く、かまどの火口から火の中にこぼれるのは縁起がよいのだと監督から教えていただいた。
下半身に身につけるもののタブー
清浄と不浄の区別に関するものとしては、身体の上半身と下半身の区別もそれにあたる。清浄である上半身と不浄である下半身に身につける衣類は混じらないように注意され、上半身の衣類と下半身の衣類は別のたらいで洗う。洗濯機で洗う場合にも衣類を別々に洗う。この時、上半身の衣類の中に靴下などが混じっているとたいへん嫌がられる。ちなみに、身体を拭く時に使うタオルも上半身用と下半身用で分ける。
以前、仏画がプリントされたiPhoneケースを買ったことがあるが、予想に反して、チベットの人々には受けが悪かった。お尻のポケットに入れたり、地面に置いたりするようなものに仏画などが描かれているのはよくない、というのである。これも清浄なものである仏画を不浄なものと混じらないようにしたいという原理が裏にある。
チベット文字も仏典を書き表す聖なるものであるため、チベット文字の書かれた書籍を地面に置いたり、本の上に靴下やズボンなどをのせることも同様に避けられる。
恋愛に関するタブー
恋愛に関するタブーとしては、目上の人や異性の親族のいるところで、恋愛や恋人の話題をしてはならず、歌垣(ラブソング、情歌)を歌ったり聞いたりしてはならないというものがある。また、興味深いのは、「恋人」、「歌垣」といった単語すらも発話してはいけないことである。日本人の感覚では、単語を使うくらいはいいのでは、とつい口にしてしまったりするが、後で、「とても恥ずかしかった」からやめてほしいと注意を受けることになる。
「恋人」、「歌垣」に関するタブーは、チベット人以外の他民族のものでも避けなくてはならない。たとえば、中国語で「恋人」を表す「対象(トゥイシャン)」という単語を使うことも、目上の人や異性の親族のいる場所では避けられる。西北地域の漢族の歌う歌垣「青海花儿(チンハイ・ホワール)」もこれらの人たちの前では歌ったり、見たりしてはいけない。たまたま見た「青海花儿」の大会で、男性の泣く場面がコントのようでおもしろかったので、撮影した動画を知り合いの男性とその母親に見せてしまったことがあるが、それも後で注意された。
「歌垣」に関するタブーについては、『SERNYA チベット文学と映画制作の現在』第5号「アムドの歌垣『ライ』」で中原美和氏が詳しく書かれているので、興味のある方は読んでみてほしい。
競馬場でのタブー
夏には各地で競馬が行われる。勝ち負けを競い、失敗すれば落馬する危険もある競馬では、験を担ぐためにさまざまなタブーがある。競馬場の中を歩いていた時、よく言われたのは、蹴られることがあるから馬には近づかないこと、そして、馬の手綱をまたがないこと、の二つであった。馬の手綱を人がまたいでしまうと、運気が落ち、勝敗にも関わるので、気をつけるように何度も注意を受けた。
競馬の騎手のテントに話しを聞きに行く時に、競馬場で知り合った女性を一緒に連れて行った。知らない女性を競走馬や騎手のいるところに連れて行くこと、実はこれも避けなければいけない行為であったことを後で知り、大変申し訳なく思った。
その他、死に関するタブーや、飲食に関するタブーなど、生活全面にわたってタブーはあるのだが、ほとんどは、日本での生活規範に沿って行動すれば問題はない。しかし、ここで失敗談を紹介したようなものは、チベット特有の原理が背後にあるものであり、実際にその場面を経験しなくては気づくことは難しい。目に見えない行動規範から逸脱すると、透明な壁にぶちあたる。タブーとは、そんなアクリル板のようなものだ。
文:海老原志穂
写真:海老原志穂、平田昌弘、星泉、山口哲由