草原のめぐみを食べよう その1 花を食す
チベットの夏は短い。西暦の6月、7月には青々とした草原は赤、白、黄、青、紫、ピンクなど色とりどりの花々で一面覆われるが、日本のお盆の時期にはそれらも次第に枯れてゆき、草原も茶色みを帯びていく。最近では道路が整備され、さまざまな野菜や果物が手に入るようになったが、もともとチベットの牧畜民は野菜や果物を自ら栽培して食べる習慣はもっていなかった。夏はバター、チーズ、ヨーグルト、ミルクといった乳製品、冬は肉、内臓、そして、交易によって手に入るツァンパや小麦といった穀物を主に食してきた。しかし、そんな彼らの食卓にも夏の間には野草を使った料理が並び、野いちごなどの草の実や、スナジグミなどの木の実のあまずっぱさを楽しんでいることは意外と知られていない。この一連のコラムではチベット牧畜民が野生植物をどのように食に利用しているかをみていきたい。
まず第一回目は、青い花を咲かせる野葱を紹介したい。チベットの高原に自生するこの野葱は学名をアリウム・ビージアヌム(Allium beesianum)という。チベット語では、「ゴクトク・ンゴリ(青花ニンニク)」と呼ばれる。
野葱は、青紫色の小さな花をつける草丈50センチほどに成長する植物である。8月上旬に日照の強すぎない草地に生える。食用にするのは花のみで、茎や葉は硬いため食用にはしない。
採取する時は、花茎の上についた花の部分のみを摘んでいく。
摘まれた花からはほんのりとしたニンニクに似たよい香りがただよう。調理する際はまとまった量が必要になるため、少なくとも茶碗一杯ほどの量が必要となる。
摘んできた野葱は、基本的には「野葱バター」にする。その調理方法は以下のようである。
野葱バターの作り方
- 摘んできた野葱の花(茶碗一杯ほど)を水でよく洗い、ゴミや枯れた花弁などを除きとり、水からあげて、まな板の上で細かく刻む。
- 100gほどのバターをアルミ缶の中に入れ、それごとかまどの上に置き、バターを溶かす。
- バターが溶けたところで、さきほど刻んだ野葱の花を加える。
- 塩を大さじ1杯ほど加える。
- ミルクを200ml、熱湯を大さじ3杯ほど入れ、加熱が終わったら火からおろす。
できあがった野葱バターは、ツァンパとともに食べることが多い。ツァンパにお湯を加えて練り、だんご状にまとめ、それを小分けにして親指で真ん中にくぼみをつくり、小さな壺状にする。
その練ったツァンパのくぼみにさきほどの野葱バターを注ぐ。
ツァンパのくぼみに野葱バターが注がれたこの料理は、「ゴクコ」と呼ばれる。「ゴク」は「ニンニク(野葱もふくまれる)」、「コ」は「壺状の容れ物」のことを指す。子供も大人も好んで食べる料理である。野生植物特有の苦味がバターの脂肪分で和らぎ、ほどよいほろ苦さに変わる。日本でも山菜は天ぷらが定番であるように、苦味をマスキングしてくれる油と野草の相性は抜群だ。また、青紫色の花は目に美しく、プチプチとしたその食感も楽しい。
野葱バターは、蒸し饅頭や「ジョンドク」と呼ばれる味のついていない蒸しパンを食べる際にソースとして用いられることもある。
野葱の花は一斉に花開いたかと思うとすぐに枯れてしまう。また、保存もきかないため、まさに「期間限定」のグルメだ。西寧市のレストランで、野葱の代わりにニンニクを使ったツァンパ・ゴクジを食べたことがあるが、草原で食べたごちそうとは比ぶべくもなかった。収穫の喜び、見た目の華やかさ、食感と夏の野生植物ならではのほろ苦さ。野葱バターは、草原のつかのまの夏をぎゅっとつめこんだかのような一品である。
「草原のめぐみを食べよう その2」ではイラクサを使った料理についてみていきたい。
文:海老原志穂
写真:海老原志穂、平田昌弘