セイタカダイオウを食べる―カム地方の牧畜から
アムドやカムの集落では赤みがかったダイオウをしばしば見ることができるが、標高4500m以上の高山帯の岩場では、白い葉に覆われたセイタカダイオウ(Rheum nobile)を見つけることができる。チベット牧畜文化辞典では、ダイオウは「酸味のある茎の根本や花の咲く太い茎の部分を食用にする」とあるが、セイタカダイオウも同じように食べることができる。
カム地方のディチン(迪慶)藏族自治州で牧畜の調査を始めてから2年目の夏、私は標高4200mに位置する夏の宿営地パヤンに滞在していた。アムドと比較して、カムではモンスーンの影響が強く、夏は一日中、雨が降っていることも珍しくない。この日も朝から少しの晴れ間と霧雨を繰り返す天気であった。朝の搾乳後、9時過ぎくらいから私はジャッツェ少年とともにヤクを30分ほど追い、普段であれば宿営地に帰るのだが、この日はジャッツェに「もっと上に行こうぜ!」と誘われて歩き出していた。
アムドやカムにおける一般的な傾向として、オオムギなどの農耕限界が標高3500mくらいであり、森林の限界が標高4200m、植生の限界が標高4500mとなっており、それ以上になると岩肌がむき出しの斜面となり、牧畜的には価値のない土地になる。特に石や岩が堆積したガレ場は崩れやすくて、雨が降ると滑るので村の人たちからも行くのを止められていた。ジャッツェはそこに行こうと言っているのである。
足がすくみそうな斜面をジャッツェとともに登っていくと、そこには高さ1.5mくらいで、キャベツから白いクリスマスツリーが生えているような形をしたセイタカダイオウが生えていた。ジャッツェはおもむろにそれを根本から折り取ると、一見、花びらのように見える白い葉をむしっていき、花序の下側の赤みがかった茎を渡してくれた。
「食べてみてよ!」というのでかじってみると、食感は水分の少ないアロエの果肉のような感じ、味はエグみの少ないレモンのような感じであった。植物体の大きさに比して食べられる部分は少なく、長さ10cmほどだろうか。酸っぱさに顔をしかめていると、ジャッツェがニヤニヤしながらポケットからカップ入りのゼリーを取り出してみせた。それは私が放牧地でお世話になる際に、毎回、街のスーパーマーケットで購入してお土産として持ってきているもので、「こっちの(ダイオウの)酸っぱいのと、こっちの(ゼリーの)甘いのを一緒に食べたら最高じゃね?」というのであった。
あまりバラエティが豊かとは言えない宿営地の食生活のなかで、束の間の酸味と甘味のハーモニーを二人で楽しんだ後、帰り際になって、ジャッツェは周囲に散らばったセイタカダイオウの葉や茎などを一箇所に集め、その上に大きな石を置いて周りから見えないようにした。「食べたことが山の神様にバレると怒られる」らしく、食べた痕跡を隠さなければならないということだった。そして、滑る岩場に注意しながら宿営地へと戻った。
その後も何回かジャッツェやガマと岩場の近くまで来ることがあったが、その度に彼らはセイタカダイオウをむしって食べて、その痕跡を隠していた。おそらく、宿営地で過ごす若者にとってセイタカダイオウの酸っぱさは、食生活での貴重なアクセントになっていたんだろう。
文:山口哲由
写真:山口哲由、海老原志穂