大昔、チベット最初の王様は、天から山の頂に降りてきたそうです。山がちなチベット高原では、天と地の間にそびえる山は神々の通路のような役割を果たすと見なされていました。以下で紹介する山の神祭りは、仏教が伝来する以前の、古い神話時代のチベットの名残を今に伝えるものとなっています。
アムドの牧畜民は、ビャクシンや小麦などを焚き上げ、その煙を通じて神仏や餓鬼に供物を捧げています。この焚き上げには、厄除けや浄化の効果があると考えられており、日々の生活の様々な場面で行われています。山々に囲まれた草原地帯での焚き上げの様子は壮観です。
アムドの牧畜地域を旅していると、耳や首に鮮やかな色の布を付けた家畜をみかけることがあります。これは、家畜たちの生命を解放する行為として、屠畜を禁じる目印に牧畜民が付けているものです。近年、この宗教的行為にも様々な変化が現れています。
牧畜・農耕といった生業の別を問わず、新年(ロサル)は、チベット人にとって一年で最も重要な節目です。都会に出ていった人々も、この時だけは生まれ育った故郷を一目散に目指します。以下では、年が変わる前の厳粛な雰囲気から、一転して華やいだ雰囲気に包まれる年明けまでのプロセスを、ひとつながりのイベントとして見てみましょう。
チベット高原を旅していると、所々の山の頂に、電波塔のようなものがあるのを目にします。それらは土地神の棲家(社)として建てられたラプツェなのですが、実は私たちが今見ているラプツェはすべて、ここ30年ほどの間に再建された新しいものです。ここではその再建について、背景・実録・考察の三本立てでご紹介します。
土地神の棲家となるラプツェが再建される様子を具体的に見ていきましょう。ラプツェの基本構造は「地上部分」と「地下部分」の二層からなりますが、このうち「地下部分」の造営プロセスに着目して、実際に牧畜社会で行われたラプツェ再建の模様についてリポートします。
ラプツェの「地上部分」の造営には一般の村人が全面的に関わることが可能ですが、「地下部分」の造営には高位の在家行者や座主クラスの化身ラマなど、密教の秘儀的要素に精通した人物の存在が不可欠です。こうした宗教面での役割分担はなぜ必要なのか、その意味について考察します。
どの社会にも行動規範があり、避けられるべき行動「タブー」がある。チベット牧畜民の社会にもさまざまなタブーがあり、それらの背景には、原理や理由がある。